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記事一覧(56)

妖のおはなし:濡女(第十話)

濡女 生息地:島根県、新潟県、福島県、長崎県、福岡県など「ぬれおんな」「ぬれおなご」「ぬれよめじょ」とも言われ、川岸に立って人を食らう女怪。髪の毛が濡れている女の姿、或いは髪を洗っている女の姿だったりもします、そのイメージは姑獲鳥(こかくちょう/うぶめ)という妖怪との共通点があります。しかし濡女の多くのイメージは半人半蛇の蛇身で伝わっております。蛇女と云う妖怪の多くの話は蛇が化けたモノとされておりまして、蛇女と云う妖怪名は近年になってからのものらしく、おそらく西洋のお話が入って来てからの気がします。現在の人がイメージする蛇女のビジュアルは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」や佐脇嵩之の「妖怪図鑑」に描かれた濡女様であります。越後と会津の境目の川岸に現れた髪を洗っている怪しい女を見かけた船乗りが悲鳴をあげて逃げ、仲間の船乗りに「大蛇よりもっと恐ろしい濡女を見た!」と言っている伝説があるのを見るとやはり蛇身なのでしょうね。また濡女は海にも現れる伝説も残されております、そのため長崎の磯女と云う妖怪とも混同されておりまして、海に出る濡女は海蛇の化身であるとされております。島根県石見地方の伝説では姑獲鳥の様に赤ん坊を抱いて現れますが舞台は海です。赤ん坊を抱いてくださいと頼み、赤ん坊を抱くと海から牛鬼が出てきて、驚いて逃げようとすると赤ん坊は石に変わりしかも手から離れない。そうしているうちに牛鬼に喰われてしまうと云われております。この場合は牛鬼伝説がある島根県で伝わっている所為か牛鬼と同一視されております。濡女の尾は3町先まで届くとされ見つかったら絶対逃れることは出来ないと云われております。夜のひと気の無い川岸で髪の濡れた女性と出会い声をかけたら恐ろしい目に遭ったと云うシチュエーションは現代でも男の場合、何となく想像に難しくないです。(妖ばなし文芸部/文責:杉本末男(chara)・イラスト:けんじゅー)

妖のおはなし:こんな晩(第九話)

こんな晩 発祥元:日本各地、古典会談日本各地に残される古典怪談の一つで、多くの場合、題名は「六部殺し」と呼ばれております。題名の六部というのは人の苗字ではなく六十六部の略で66カ所の寺社に写経した法華経を奉納する、巡礼、または巡礼の僧のことを言います。その六部の僧が月の綺麗な夜にあるお百姓さん夫婦の家に一夜の宿を乞います、夫婦は快く迎えてお持て成しをしましたが六部が大金を持っていると知った百姓夫婦は六部を殺して金を奪い。六部を埋めてしまいます。やがてその金を元手に財を成し、子宝にも恵まれましたがその子は幾つになっても口が聞けないままでした。月の綺麗なある夜夜中に我が子が目を覚ましたので子供を便所に連れて行くため主人と子供は外に出ます、綺麗な月夜、六部を殺した日と同じでした。そんな時今まで口が聞けなかった子がこんな事を言います。「お前が俺を殺したのも、丁度こんな晩だったな」子供の顔はあの殺した六部の顔だった・・・という子供の台詞から「六部殺し」は「こんな晩」という題名でも語り継がれております。各地に伝わる話は色々バリエーションがあったり細部が諸々変わったりしてますが概ねこういう内容のお話です。外部から狭いコミュニティへの侵入、そしてそこから悪意が誘発され人は鬼へと転じてしまいます。案外、昔も今も人の欲は変わらない気がします。因果応報、親の因果が子に報いの典型的な古典怪談の名作であります。(妖ばなし文芸部/文責:杉本末男(chara)・イラスト:けんじゅー)

妖のおはなし:文車妖妃(ふぐるまようひ)(第八話)

文車妖妃 生息地:江戸或いは京の都「古しへの 文見し人のたまなれや おもへばあかぬ白魚となりけりかしこき聖のふみにこころをとめし さへかくのごとしましてや執着のおもひをこめし 千束の玉章にはかかるあやしきかたちをもあらはしぬべしと 夢の中におもひぬ」これは鳥山石燕の「百器徒然袋 文車妖妃」に書かれた一文であります。文車妖妃は何処かの地方に伝承が残されてると云うよりは「百器徒然袋」にその名を残す妖怪です。文車とは寺院等で使用される小型の牛車の様な形をした書籍類を運ぶための物で、文車妖妃は文車、若しくは文車の中の文自体が化けたものであります。と言うのも「百器徒然袋」自体が「徒然草」を器物妖怪の付喪神を用いてパロディ化している様でして、「徒然草 第72段」に「人にあひて詞の多き 願文に作善多く書き載せたる多くて見苦しからぬは 文車の文 塵塚の塵」とあり、この文車の文が出所である様です。徒然草、百器徒然袋の両方の文から解釈すると文車妖妃は文車に大量に積まれた恋文の化身と言う事になります。妖ばなしでストーリーテラーの役割りをやって貰っているのも文車妖妃が文の化身だからこそです。文車妖妃の読み方は「ふぐるまようひ」とも「ふぐるまようび」とも読めます。「百器徒然袋」に従うならば「ふぐるまようび」のルビが振ってあるのですが、レギュラーになって略された場合「ようひ」の方が語感が良いので、妖ばなしでは「ふぐるまようひ」の読み方を採用しております。また文車妖妃が従えている化け鋏と化け文箱は鳥山石燕の文車妖妃の絵に描かれている大きな葛籠の中から湧いて出てくる小妖怪達の中の2体で、本当は絵に描かれている他の妖怪達も出してあげたかったです。と、夢の中におもひぬ。(妖ばなし文芸部/文責:杉本末男(chara)・イラスト:けんじゅー)

妖のおはなし:大太郎法師(だいだらぼっち)(第七話)

大太郎法師 生息地:日本全国大太郎法師は国産みの際に遣わされた大人(おおひと)・古代神です。その大きさは天にも届くと言われ、日本各地の山を作ったり、山を作る際に踏ん張った或いは地団駄を踏んだ跡が湖になったりと、大きな山や湖には大太郎法師伝説が多く残されてます。デイダラボッチ、レイラボッチ、ダイダラ坊、タイタン坊、等との呼び名が地方に寄って違う名前で同様の伝説が残されており、タイタン坊とギリシャ神話の巨人族タイタン(Titan)の関連性は不明ですが何やら共通点は感じます。大太郎法師は富士山を作る時に近江の土を掘り返したので琵琶湖が出来たとか、子供たちを手に乗せ歩き山をまたいだ際に手が滑って子供たちを落っことしてしまった、大太郎法師の手をついてできた窪地に涙が流れて出来たのが浜名湖になったとか、赤城山に座り利根川で足を洗ったとか、東京都世田谷区の世田谷代田(せたがやだいた)さいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)などダイタと付く地名は大太郎法師の足跡との伝説があります。ダイタラのタラはタタラとも関わりがあるとする研究もあり、また富士山を綱で引っ張って移動しようとするお話には出雲の「国引き神話」の影響も感じられます。絵本百物語に見える「讃岐の手洗い鬼」と云う妖怪は大太郎法師の使いとされ、四国の海で三里の距離の山を跨いで手を洗う絵が残されているとか、とにかくスケールの大きな話が多く聞いていて楽しいです。日本各地の山や湖川を作り終えた大太郎法師は何処かに去っていってしまいました。自然に対する敬意や畏怖心が大太郎法師伝説を産んだのだとしたら人は、またいつか大太郎法師に会うことができる日が来るのでしょうか?(妖ばなし文芸部/文責:杉本末男(chara)・イラスト:けんじゅー)

妖のおはなし:つらら娘(第六話)

つらら娘 生息地:新潟県雪女が雪の化身であるなら、つらら娘はその名の通り氷柱の化身でありますので妖精の類いであろうと思われます。東北には氷柱の精の話が多いのですが地方に寄って名前どころか推定年齢が違ってたりいたします。つらら女とか、つらら女房、山形のすが女房、新潟県や富山県の一部では、氷柱をかねっこり、と言うらしく、新潟県では娘の姿をしておりましてつらら娘はかねっこり娘とも呼ばれています。面白いのは氷柱の精の伝説は地方に寄って年齢差があるという事です。ただ伝わっているお話は細部は違えど大きく分けて2つのパターンに分かれます。氷柱が出来そうな寒い夜の事、誰かが入り口の戸を叩くので見に行くと、外に立っている女の子がおります。これは可哀想にと家の中に入れ、家の主人が寒かろうとお風呂を勧めても不思議なことに、彼女は頑として断り続け。無理をして勧め、お風呂に入れさせて湯加減を尋ねるが、返事が無い、開けてみると風呂には娘の姿はなく、一片の氷だけが残っていたというお話とやはりとても寒い夜に家に訪ねて来た不思議な女は家の主人と結婚するが春になると、女はどこかに消えてしまい。主人は女に逃げられたと思ってがっかりしましたが、やがて別の女と出会い結婚します。やがて再び冬が来まして、ある時、軒下に大きな氷柱がぶら下がっていて、主人はその氷柱を叩き落した。家の中にいた妻が悲鳴を聞いて外に出てみると、主人はつららに首を貫かれて死んでいた。という押しかけ女房の復讐劇のお話です。つらら娘に詳しい新潟妖怪研究所の高橋郁丸所長に寄ると新潟県のつらら娘は前者の溶けて消えてしまう方の話で男を刺し殺す話は秋田県の伝説の様です。また、刺し殺す物語は男の裏切りに対しての報復なのでつらら女房の方の話の様です。どちらの話にも共通している重要な点はどちらのつららの精も男性の元から消えてしまうことです、雪女の様に別れを告げて去るのでは無く何も言わず消えてしまうのです。そしてまた氷柱が出来る頃に再び姿を現わすのは正しく氷柱の持つ美しさと儚さの中に生まれた妖怪だと思います(妖ばなし文芸部/文責:杉本末男(chara)・イラスト:けんじゅー)

妖のおはなし:白い女(第五話)

白い女 発祥元:現代怪談幽霊画として通称白い幽霊というのがありまして霞の様にふわっとしております。幽霊とは文字通り幽かな霊で円山応挙が広めたとされる下半身が透けてオーバーラップしている様なイメージでしょうか。現在では霊だけでイメージが統一されておりますが。昔はこの霊という言葉には様々な分け方で考えられておりまして、古くは鬼が幽霊の意味で後に怨霊を指す様になり、わざわざ死んだ霊を死霊、生きている霊を生霊などと分けます。霊と魂はほぼ同義で、道教に三魂七魄と云う考え方があり、三つの魂と七つの感情で人間は出来ているので殭屍は魄のみの状態だと云われています。三つの魂は天と地と身体にそれぞれあります。日本に道教はあまり馴染まなかった様ですが魂と魄の考え方など一部は当時の知識人が取り入れてはいた様な感じを受けます。妖ばなしの中でお化けは何故怖いか?を描いておりますが人がお化けを怖がる理由の一つに自分の生活圏内、パーソナルエリア内の侵入があります。家、若しくは自分の部屋というのはそれ自体が結界の役割をしているため他人は入ってこれません。西洋の吸血鬼は家に招かれないと家に侵入できないとされるのはやはり家が強力な結界であるという考えに由来している様に感じます。もし、夜中に目が覚め、見知らぬ何者かが部屋に侵入していたら、これは幽霊であろうと人であろうと怖いです。また、お化けを確かめる手段として夜道の問いかけがあります。電灯も無い昔の夜道前方に誰か人の気配がある場合必ず「もしもし〜」と問いかけるのが良いとされます。相手が「もし、、」一文字だった場合それはお化けなのだそうです。「ガモー」や「モモンガ」もお化けの発する言葉だとか云われており人とは違う言語を話します。これは狭いコミュニティの中での異文化の介入はそれ自体が怪しい存在、つまり妖怪の誕生となりどう対処して良いか解らないから怖いというわけです。極論、幽霊が怖いという人は人が怖いという事と同義なのです。(妖ばなし文芸部/文責:杉本末男(chara)・イラスト:けんじゅー)

妖のおはなし:泥田坊(第四話)

泥田坊(どろたぼう)生息地: 東北と江戸 「むかし北国に翁あり、子孫のためにいささかの田地をかひ置て寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに。この翁死してよりその子酒にふけりて農業を事とせず、はてにはこの田地を他人にうりあたへれば、夜な々々目の一つあるくろきものいでて、田かへせ々々とののしりけり。これを泥田坊といふとぞ」・・・これは妖ばなし泥田坊のオープニングに登場した鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」の泥田坊の一節です。東北のある老人が子供の為に田を残して死んだがその息子が怠け者で農業をやらず、酒ばかり飲んでいて挙句に田んぼを人に売り渡した、すると夜な夜な田んぼから一つ目の黒いモノが現れて「田を返せ、田を返せ」と罵る。とあります。泥田坊は本来三本指で人間の指は二つの美徳と(智慧、慈愛)三つの三毒(瞋恚、貪婪、愚痴)を示し、だから鬼の指は三本で有るとされておりまして、目が一つ指が三本の泥田坊は怨念の塊の一眼鬼であるともとれるのですが、田の神が片目だからなのかもしれないです。鳥山石燕の絵は吉原遊郭を風刺した言葉遊びの駄洒落から生まれた物だとする研究者の方いらっしゃいましてそれによると北国とは新吉原を指す言葉とされておりましてということは泥田坊は北国の話では無く江戸の話ということになります。というのも東北地方に泥田坊の伝説資料が見当たらないからです。しかし石燕は、むかし北国に〜と書き始めてますので石燕の時代には北国に泥田坊の伝説は有ったのかもしれません。ただ伝説が無い今、その想像の域を出ません。泥田坊がどのようなバックボーンをもっていようがそのデザインは素晴らしく、如何わしい懐かしさに満ちております。ファンも多い為か何度か映像作品にも出演しておりまして、1968年の大映映画「妖怪百物語」の泥田坊も素晴らしいが、1975年或いは1976年頃の日本テレビの「お昼のワイドショー」と云う番組の夏休みの特集に「あなたの知らない世界」と云う番組があり着ぐるみを使った泥田坊の再現フィルムが有りまして良く出来ていたのでもう一度観てみたいです。(妖ばなし文芸部/文責:杉本末男(chara)・イラスト:けんじゅー)